皆さんはJAZZという音楽をご存知でしょうか?
ジャズという音楽は100年以上前から存在しているアメリカ発祥の音楽です。
日本人から見ると「ちょっとオトナな雰囲気のバーやホテルで演奏されている、ちょっと難しいけどおしゃれな音楽」というイメージを持たれがちです。
ちなみに数年前のインテリア雑誌 smart さんの記事で「女子が恋愛対象の男子の家で流れてたら好印象な音楽 No.1 はJAZZやBossa Nova」というアンケートからの統計があり純粋にJAZZが好きな人間の一人として嬉しかったのを覚えています。
しかし本場のアメリカでは日本でいう歌謡曲的ポジションで若者はあまり聴かなない音楽ジャンルになってきているとか。。
一見理解に難しそうなジャズですが何も考えずに「感じて聴く」だけで十分気持ちのいいものです。
適温のシャワーを浴びると気持ちいいですよね?
それと一緒なのです。
たとえ歌詞がなく楽器のみの演奏であっても感じればいいのです。
ジャズは音のシャワーですなのですから。
そんなジャズですが私も大好きな音楽ジャンルで私の音楽のルーツであると言っても過言ではないのです。
今日はそんなジャズの演奏家でサックスの巨匠、スタン・ゲッツについてのブログです。
__目次
ジャズにもいろんな演奏ジャンルがあってスタン・ゲッツはクールジャズやウエストコースト
ジャズというジャンルに分けられることが多いです。
クールジャズってなんだ?
って話の前にジャズのジャンルについてサクッと触れておきましょうか。
ジャズのジャンル
- ニューオリンズ・ジャズ
- スウィング・ジャズ
- クール・ジャズ
- ビバップ・ジャズ
- モード・ジャズ
- フリー・ジャズ
- コンテンポラリー・ジャズ
- スムース・ジャズ
- アシッド・ジャズ
etc… たくさんあります。
日本人は綺麗好きもあってかジャンル分け、分類分けすることが大好き。
なので音楽も分類分けすることが大好き。
「このアーティストのプレイスタイルはOOOだ」とよくジャズバーでおっちゃんたちによる楽しそうな論争が起きていますが今回はいちジャズ奏者としての目線で語らせていただきます。
1_スタン・ゲッツのメインジャンル、クール ジャズとボサノバ
ゲッツはクールジャズやウエストコーストジャズに属するということを先ほど述べましたがもともとはスィングジャズのビッグバンド出身。
青年期に演奏の仕事でアメリカ西部L.A.滞在し、その楽園のような様に見せられてしまったことからウエストコーストのスタイルに強く影響を受けたのではないかと思います。
ゲッツの演奏は線が非常にやさしく女性的で軟派な印象を私は持っています。
ジョン・コルトレーンやハンク・モブレーなどアグレッシブなプレイスタイルとは真逆を行く感じです。
アドリブのスタイルもレスター・ヤングのように各スケールやその時のコードの美味しい音を求めていく傾向が強いです。
レコーディングされている音源も他のテナージャイアント達と大きく異なり深くゆったりめのリバーブ(残響感)を効かせた臨場感ある雰囲気がたまりません。
COOL JAZZという分野にはチェット・ベイカーやジェリー・マリガンなどのアーティストがいますが聴き比べてみるとみんな同じような雰囲気を持った演奏をする(時期や曲によっては違いますが)ことが多いです。
それらはチャーリー・パーカーのビバップやジョン・コルトレーンのモードジャズとは大きく違うのがわかります。
またジャズ以外でもブラジルで生まれたての音楽ジャンル、ボサノバをレパートリーにいち早く取り込んでプレイしたのもゲッツでした。
ボッサはサンバを取り入れたブラジル新しい音楽ジャンル、小規模な範囲で演奏されたボサノバをポピュラーな音楽に引き揚げたのは間違いなくゲッツの功績です。
ボサノバの巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビンなどとも共演を重ね、ボサノバの名曲である「イパネマの娘」は『世界で一番演奏された回数の多いナンバー』として今尚愛され聴かれています。
多くのボサノバの名盤で深いリバーブが効いたサックスが聴こえてきているとしたらそれのほとんどがゲッツの仕事でしょう。
2_ゲッツの幼少期
ゲッツの本名はスタンリー・ゲイツキーでアメリカのペンシルベニア州の生まれです。
ゲッツが生まれたのは1927年、世界恐慌が起こる直前でした。
そのため世界恐慌真っ只中の幼少期は家庭の暮らしぶりは貧しい物だったそうです。
ゲッツの母、ゴールディーはそれはそれは美人だったと言われており結婚前は町中のメンズ目線を集めていたそうです。
しかし家は貧しいだけでなく父の酒癖の悪さ、暴力などなかなかひどい家庭環境で暮らし自由な時間もほとんどなく仕事と家事に青春の多くを捧げていました。
ゲッツの父であるアルは真面目で面白みのない男でした。
ゴールディーは最初はアルの兄といい関係になりつつあったそうですがなぜか面白みのないゴールディーが気になっていました。ゴールディーは自分の父や常にウイスキー臭をさせた他の男たちと違うアルののんびり穏やかな人柄に惹かれたのでした。
そんなアルと結ばれた先には貧困という名の苦労の連続が待っていました。
アルはのんびりした性格が災いしてか富とか名声にこだわりを持ちませんでした。
そのせいで二人の家計は火の車。
そんな中ゲッツが生まれるのです。
ゲッツが生まれた時はそれはそれは王子様の如く親戚、家族中から蝶よ花よと可愛がられました。
ゲッツはマンハッタンのスラムのようなところで幼少期を過ごしました。
食べるものにも困るような夜もしばしば。
しかし当時のゲッツはプールが大好きでした。
たまにお小遣いをもらって弟とプールに向かっている途中にギャングの下っ端にナイフを突きつけられ、なけなしの10セントをカツアゲされることもありましたがめげずにプールに通い続けました。
それは大人になってからも同様であり、泳げるところを見つけると「なんとかして泳ぎたい、どうしたらいいだろうか」とよく考えていたそうです。
他にも面白い逸話があります。
ある夜ゲッツは寝ぼけてキッチンのシンクで大便をしてしまい母親に烈火の如く怒られたことがありました。
クールな顔して演奏しているゲッツからは信じがたい逸話ですね。。
またゲッツは母に関しての鉄板ネタを持っています。
ある日、ダービーハットを被った集金人が来たことがありました。色々な料金を払えていない自分たち家族を泥棒のような言い草で攻めていたのを母はじっと聞いていて、聞き終わったところでゲッツの母は反撃に出たのです。
「集金人さん、あんた醜い顔してるよ。どうすればもっといけてる顔になるか教えてあげようか?その被ってるダービーハットの中にう●こをして被り直す。その茶色いトグロ巻いたクソでも頭に乗っけていれば少しは見栄えが良くなるさ。」
幼いゲッツは爆笑だったそうです。
やがてゲッツ成長しは学校に通い始めました。クラスでの成績がとても良く特別に優秀な成績を納めた生徒のみ参加できるプログラムに編入されたほど。
それの陰には「うちの子には絶対何か特別な才能がある」と躍起になっていた母の暗躍がありました。
その期待に応えるべくゲッツは勉強を頑張りました。
この頃からゲッツは『音楽』に興味を持ち始めます。
友達の家のピアノでラジオで聴いて覚えていた音楽のメロディーを誰に教わることもなくサラサラっと弾いて周囲を驚かせていたようです。
内気だったゲッツ少年が何かに興味をも持った!と歓喜した両親でしたがで家庭の経済状況からピアノは買ってもらえず。
母親におねだりし続けやっと12歳の時にハーモニカを買ってもらえたのでした。
このときまでスタンは楽器を所有したことがなかったそうです。
それからゲッツはたくさんのPOPSやフォークソングを吹き込み学校の行事で演奏しないか!?と声をかけられるほどに成長しました。
しかし悲しいことにここでトラブルが。。
なぜゲッツはこんなにも下のソソの逸話が多いのでしょうか?
学校の行事でみんなの前で演奏している最中、ゲッツはあろうことか失禁してしまうのです。
もちろん行事を観に来たゲッツの母は目を覆いました。
しかしさすが天性の演奏性を持つゲッツ、ズボンのシミが大きくなっていっても決して演奏をやめることなく最後まで吹き通したのです。
さすがです。
それはゲッツの演奏に対する愛、絶対的な音感とリズムのなせる技で当時は何時間もぶっ続けで演奏を続けても飽きずに演奏を楽しむことができた、という背景もあるのかもしれません。
3_初めて買ってもらったアルトサックス
そんなゲッツが初めてサックスと出会ったのが13歳時でした。
父親がゲッツに中古のアルトサックスをプレゼントしたのです。
父は毎食の昼食代を削ってなんとかお金を貯めたのです。
感動的な話ですね。
大きな凹みがあったり錆があったりでお世辞にもいい楽器とはいえないサックスでしたが、初めてサックスを演奏したゲッツは今までの演奏で感じたことのない感動を覚えたと言われています。
そこからゲッツはサックス漬けの生活が始まり1日に8時間練習を続けていたそうです。
この頃から音楽スクールに通ったりオーケストラの団員の指導を受けたりしてさらにめきめきと頭角を表したそうです。
その背景にはゲッツの主任音楽教師でもあったオーケストラの指揮者がスタンが才能に恵まれた熱心な生徒であることを見抜き、優秀な弟子に長い時間を割いて個人的な指導を無料で行ったという後押しがありました。
両親のゲッツの音楽に対する期待は大きく今でこそ「音楽で食っていくなんて奇跡みたいなもんだ」と白けた雰囲気で話されますが当時は生活に音楽が、演奏が溢れていたのです。
そのため、ゲッツの才能=音楽 は貧しい両親の生活を大きく潤すものでもあったのです。
この頃14歳にしてプロのミュージシャンとしてダンスパーティーやバルなどで演奏していたゲッツですが渡せるだけの収入を家庭に入れながらも残ったわずかなお金を貯めて中古ですが質の良いテナーサックスを購入したのです。
それから15歳になった頃からゲッツはダンスホールでの演奏やジャムセッションへとお気に入りのテナーサックスを片手に飛び回っていたそうです。
そんな中ゲッツはビッグバンドのオーディションを受けることになります。
バンドマスターはゲッツの演奏をサクッと聴いただけで合格判定、週給35ドル(今の日本の価値にして約6万円ほど)で演奏しないかと提案したそうです。
それに喜んだゲッツは学校を辞めるために母親を説得してなんとか楽団で演奏できる運びとなり2歳年齢を詐称して音楽家たちの組合に入りました。
しかし世の中とは酷な物で警察の少年課の係官が来てあっさりと補導、即刻ゲッツは解雇されてしまいました。
しかしゲッツはめげません。
ジャズトロンボーンの大御所であるジャック・ティーガーデンのバンドで演奏している友人から一緒に吹かないかという声がかかりました。戦時中のためティーガーデンのバンドの若い衆は徴兵に取られてしまいいくら新人を採用しても追いついていなかったのです。ゲッツは持ち前の演奏技術の高さに加え、年齢の面からも徴兵まで3年の猶予があることからティーガーデンの興味をひいていたのです。ゲッツはティーガーデンの前で演奏し週給70ドル(今の日本の価値にして約12万円!)の契約を結ぶことに成功したのです。
しかし入団から一ヶ月経った頃また警察の少年課係官の手がゲッツに忍び寄ります。
しかしティーガーデンが一生懸命警察官を説得したことによりなんとかバンドに残ることができたのです。
この頃からゲッツはティーガーデンの影響を受け即興演奏の技術が大幅に上がりました。
ゲッツは年間260本の演奏をこなしアメリカ中を大移動したのですがその間に行われていた絶え間ないティーガーデンの音楽講座を受けていたのです。
こうしてティーガーデンからいい影響を受けてきたのですが残念なことに悪い影響も受けてきました。
ティーガーデンはお酒の飲み方がクレイジーでティーガーデンのいく先にはいつもお酒がありました。
楽団員達もゲッツにお酒を勧めたのです。
この頃からお酒による高揚感、不安や疲れの解消に身も心も溶かしていくことになります。
しかし、さすがゲッツ、酒浸りの毎日でも彼の演奏技術の追求は止まりませんでした。
それに気がついたティーガーデンはたびたびゲッツに曲中のソロを任せるようになりました。
4_ゲッツ、ウエストコーストへ行く
ゲッツが16歳になった頃、ゲッツはティーガーデンとともに南カリフォルニアに住むことになります。
燦々と降り注ぐ太陽、開放的に伸びるヤシの木、白いビーチにオーシャンブルーの波などに心を奪われたゲッツはここは楽園か!と感動しずっとここに住みたいと思ったそうです。
プール大好きなゲッツですからね。笑
そして移住後もゲッツはロスでビッグバンドのサイドマンとして演奏の腕を磨いて行きました。
その後スタン・ケントンのバンドに誘われ南フロリダへ旅立つことになるのですがここでとうとう当時のジャズマンに憑き物だったドラッグに出会ってしまいます。
アル中の道、まっしぐらだったゲッツが団員からヘロインに誘われて手を出さないわけもなく、ゲッツはドラッグが与えてくれる感覚に心を溶かしていました。
しかしゲッツは薬漬けになりながらもメキメキと演奏の腕を上げて行きました。
スタン・ケントンに頼み込んで曲中のソロをワンコーラスやらせてもらえるようにもなりました。
その後スタン・ケントン楽団の主席サックス奏者の座を手に入れたのです。
自信のついたゲッツは敬愛するレスター・ヤングのスタイルをバンドの演奏に取り入れられないか、とスタン・ケントンに持ちかけましたが帰ってきた言葉は「演奏が単純すぎるからダメ」
この一言でスタン・ケントンに失望したゲッツはバンドの脱退を決意しました。
しかしこの決意はゲッツの華々しいデビューのイントロだったのです。
〜 つづく 〜